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河野良和 『 誰も知らなかった心身壮快法 』 実業之日本社 (実日新書) 1979 (昭 54)

‥‥結論的には、「何事も在るがままに気づき受けとめる」──ということであった。 p45

私は‥‥心の働かせ方を、ただ頭でっかちに知識や理性に偏るのではなく、 ナマの体験をじかに感じる事もできるようにしようとしているのだ。‥‥ 従来の感情についての研究を調べてみても、その研究は全て、感じられた感情の種類や質の研究であり、 その感情を人間が感じているという条件を扱おうとしたものは何一つなかった。 私はそこに着目した。‥‥ p200

普通はあまりにも当たり前のことで、わざわざ留意するには及ばないと思われている 自分の感性の営みに、素直な在りのままの注意集中を行う p5

身についてしまうとあっけないほど簡単で当たり前のことなのだが、 私たち人間の盲点のように、見過ごされ、従って理性的には気がついていなかった 「自分自身の感情や感覚について、そのままありのままに受けとめるように気づく」こと、 さらに「自分自身が感じているとだれもが当たり前に行っている自分自身の営みに気づくこと」が‥‥ 重要なポイントとなる‥‥。 p5

元来、注意集中とは、数ある対象の中から何かをピックアップして、その対象に注意を向ける心の働きをいう。 私が特に内的注意集中というのは、その注意の対象となっている事柄や事態については、 ただ気づいているだけにとどめ、注意のしどころを、自らの心の内に感じられている 感じの流れにおく注意の事である。この場合、素直な、あるがままに受けとめつづけるような注意のあり方、 そして自分が感じていると気づく注意のあり方であることが大切なカギだった。 p213

自分が今、心の中で感じているそのままに気づくこと、あるいはそのように内的注意をしながら、感じつづけ、 自分が今、そのように感じている(考えているのではなく)と気づくことが重要なカギとなる。 p209
どのような感じでもいい、今あなたが感じているそのままに、素直に気づき、感じつづけ、 また、自分が感じているのだと気づく内的注意ができればいいのだ。 p230

例えば温かい感じに注意集中する場合、あなたが今感じている温かさの感じと、 その温かさをあなたが感じているというように条件を分けてみるのである。 このように便宜的に分けて、温かさに重点を置くやり方をカギ1として使う。 この場合に大切なのが素直に在りのままにということだ。 練習材料は今あなたが実際に感じている温度の感じそれだけなのである。 もうすでに感じている通りに気づくだけなのだ。‥‥ 今あなたが現に感じている通りに気づくだけ、というのがカギ1なのだ。 p45

このカギ1は、自分が感じている感覚に素直に在りのままに気づくことである。 p206
今あなたが感じているそのままを、在りのままに受けとめつづける、 という心持ちで感じていることができればよいのである。 p204
あなたが‥‥感じている感じなら、どのような感じでも、 その程度やニュアンスも種類も、一切制限がない‥‥。 p204
気づいたら、その感じに、今現に感じている通りに気づきながら感じつづけていればいい‥‥。 p218

人間、生きて目覚めている限り、その時の気分、感情がある。 意識の働きの彩りとでも言おうか。その時その時、だれもがその時の気分を感じている。 しかし、だれもがいちいち自分の気分を気にとめているわけではない。 まわりの様子、今、自分が考えていることや、やっていることの方に気をとられ、 自分が今感じている気分、心持ちという感情の条件に留意する人はまずいない。 それを心がけて今あなたが感じている気分、心持ちに気がついてみる‥‥ p215

このように自分の感情、気分や心持ちに改めて内的注意をしてみると、 いかに人間はハッキリしない、ボンヤリした、つかみどころのない感じでいる時の方が多いかがわかるだろう。 それも今あなたが感じている感情である。 だからそのまま、素直に在りのままに、内的注意により、感じつづけることだ。 p216
別にどうということもない感じも一種の感情で、その時のなんともない感じに気づけばよいのである。 p199

感じられた感情は、そのまま「アー、こう感じている……」「こういう感じなんだなァ……」と気づくだけに止め、 「イライラ」とか「落ち着いているなあ」などと言葉におきかえないことだ。‥‥ 感じられた感情の種類や質に気をとられ、ついこだわってしまうということになってしまうからだ。 大切なのは「……感じている」という条件である。要するに気づきさえすればいい。 p216

感情を理性でわかろうとする人が非常に多い。だから‥‥「どうも感じがわからない」ということになるのだ。 わかろうとすると感情はわからない。わからないけれど、だれでも感じている。 この、感じているということに気づくことが‥‥大切なのである。 p199

普通の自律訓練法のように重いとか温かいとか、心臓がおだやかにうっている、 というような感じをつくる必要はないのだ。 p204
いちいちその影響の出方を確かめ、その上にたって次に進む必要はない。 要するに自分が感じている感じに気づけばいいのだ。 p210

‥‥呼吸法は呼吸の形式に、臍下丹田もその腹部への力の入り方のようなものに気をとられすぎていたように思う。 ‥‥その形式や、どのようになっているかという状態は二の次で、さし当たっては大したことではない。 大事なのは、あなたが今現にそのように在り、そのように感じている、という条件そのものの自覚なのだ。 p228
呼吸は自分の意思で変えることができる。これが下手をするとまずい練習をするもとにもなる。 静かな落ちついた呼吸がいいのだ、と思いこんでいると、ついそういう呼吸をしようとしてしまいがちだし、 息苦しい感じがすれば、あっこれではいけない、と何とかしようとする気持ちが働きやすくなる。 これは呼吸の形式やその不快さにこだわるからだ。 p225

あなたの側の欲求や願望でどうにかしようとするような、作為的能動的注意とはちがう。‥‥ 今現に感じている感じを素直にそのまま受けとめる注意のしかたが内的注意なのである。 p213
内的注意集中を行うと、やがて‥‥心理、生理的な効果が得られる。‥‥しかし‥‥ これらは練習の結果であって、それを目標にすると、つい、そうなろうという意図や努力が入ってくる。 それは内的注意集中ではなくなるので厳重に戒めなければならない。‥‥ そうなるのがいいんだな、じゃあそうなるようにしよう、としたり、 あるいは、そのように感じないからと落胆したりせず、ひたすら、‥‥ つづけることが大切なのだ‥‥。 p208

気分に持続的に内的注意集中を行うと、いやな感じは静まってくる。 この時、自分の意思で鎮めようとしてはいけない。ただ、今現に感じている通りに内的注意をしながら感じつづけるのだ。 そうすると不快感情は鎮まってくる。これはあくまでも結果であって、それを目標にはしないことだ。 今おさまってないなら、おさまらないままでいい。そのまま気づきながら感じつづける、 というのが‥‥大切なポイントである。 p215

その時、「それでは気がすまない、何とかなりたいと焦るような、素直になれない気持ち」になっている時、 その気持ちにも「素直に在りのままに気づく」ことを補助キーとして用いると カギ1を正しく使うことができるようになる。 p46
今感じている感じを、そのままに感じているのではなく、つい「何とかしよう」と 意図的、作意的になってしまう。そのような気持ちに自分で気づくことを補助キーとして用いるのである。 p208

内的注意のカギはもうある一つある。 それは、「そのような感じは全て自分自身が感じているのだ」ということに気づくことである。‥‥ この「自分が感じている」という条件に注意ができることが二番目のカギなのだ。 普通だれもいちいち「自分が感じている」などと意識しないで感じている。 だからこの練習は、ふだんはやらない注意集中だ。やりなれないことをするむずかしさがある。 p206

その「温かさ」はだれが感じているのかと言えば、言うまでもなくあなたが感じている。 いわばあなたが今体験している温かさとは、その場合あなたが体験している内容に当たる。 ここで、内容の方でなく、「自分が今体験している」という、あなたの今の営みに気づくことがカギ2になる。 これをむずかしく言うと「主体の体験性の自覚」といい、 さらにカギ1とカギ2とを総合してうまく使うことを、「在るがままに気づき受けとめる」というのである。 このような注意法を、「内的注意集中法」と私は呼んでいる。 p46

この本は現在は売られていない。内容は、河野氏のいう内的注意集中法(感情のコントロール)を、 自律訓練法に応用した形となっている。現在の著作は、下のサイトに紹介されている。

[参考頁]
河野心理教育研究所 (河野良和の催眠療法)   http://www.k-labo.net/

簡単に探してみたところ、他の(言及のある)頁としては、
ユングと感情モニタリング法   http://www.asahi-net.or.jp/~we7n-hkt/tensi00119.html
  ( http://www.asahi-net.or.jp/~we7n-hkt/jung.html ユングネット → PR → 天使の心理療法‥‥ → )